久々に書き下ろしてみました。TAエンディング後で、クオレがエブラーナで過ごす初めての七夕の話です。
私自身が言葉や文化の違いに惹かれるので、お館様とリディアにまったく言葉のわからない状況を味わってほしくて書いてみました。あんまりわかりやすくいちゃいちゃしてなくてすみません!
『ねがいごとはひそやかに』
「はい、今日はこれで終わり」
リディアの言葉にクオレはうなずき、ふう、と息をついて分厚い本にしおりをはさんで閉じた。
「ちょっと難しすぎた?」
「ううん。おもしろかった」
クオレは首を振って、きらきらとした瞳をリディアに向けた。安堵に胸を撫で下ろす。
週に一度、リディアはクオレに古代語を教えていた。クオレは出会った頃から基礎的な古代語を習得していたが、幻獣との意思疎通に必要なその言語を日常生活で使うことはまずない。そのため、彼女が古代語を忘れないように、そしてさらに高度な言語を覚えるように、定期的に古代語の本を一緒に読むようにしていた。
講義というほど堅苦しくない時間が終わると同時に、居室の扉が叩かれた。クオレが椅子から降りて駆け寄る。扉の向こうには、何人かの子供たちが立っていた。クオレの友人たちだ。子供たちを自由に出入りさせるエブラーナ城は本当に大らかだ、とリディアはいつも微笑ましい気持ちになる。それだけ平和ということなのだろう。
「クオレちゃん、もう短冊書いた?」
「タンザク?」
クオレが首を傾げると、先頭にいた少女がうなずいて、クオレの手を引いた。
「もしかして、七夕知らない?教えてあげる!」
少女はクオレを引っ張って、そのまま駆け出した。ぞろぞろと子供たちがそれに続いて走っていく。
「リディア様も行こうよ!」
遠くから子供の声に呼ばれ、リディアは苦笑して椅子から立ち上がった。
長細い葉と紙がぶつかる涼しい音に、子供たちの嬌声が重なっている。ちりんちりん、と切ないような小さな鐘の音が夏の夕暮れの空に響いている。あの鐘は確か「風鈴」と呼ばれていた。
城を出てすぐの広場には節のあるしなやかな木が何本も並んでいて、そのどれにも色とりどりの細長い紙がぶら下がっていた。木の下には長細い紙と筆記用具が置かれた机があった。
「この紙が短冊。ここに願いごとを書いて竹にぶらさげるのが七夕だよ」
子供たちが口々にクオレに七夕のしきたりを教えている。クオレは鮮やかな竹を見上げたあと、紙に向き直って、何やら書き始めた。
「クオレちゃん、これなんて書いてあるの?」
友人の問いかけにクオレは得意げに笑い、答えずにリディアにその短冊を見せた。
「うん、上手ね」
短冊には先ほど習ったばかりの古代語で、「エッジとリディアとみんなと仲良く過ごせますように」と書かれていた。リディアが頭を撫でると、クオレは嬉しそうに目を細めた。
「リディアさまー、これ、なんて書いてあるの?」
答えないクオレに業を煮やした子供たちがリディアにまとわりつく。教えるように促すと、クオレはぽつりと短冊の意味を答えた。子供たちから歓声が上がった。
「すごいー!そういう意味なんだ!」
「今度僕にも教えてよ」
友人たちの勢いに気圧されながらも、クオレはこくりとうなずいた。子供たちの歓声がひときわ大きくなる。
「おいおい、なんだ、にぎやかだな」
呆れたような声に振り返ると、エッジがこちらに向かってくるところだった。お館様!と子供たちが一斉に彼を取り囲む。相変わらず、子供たちから人気である。
「お館様、クオレちゃんの短冊見てよー!」
ひとりがエッジの手を引き、その他の子供たちは彼を包囲してクオレの元へと導く。先頭の子供がクオレの手の中の短冊を指差した。一瞥して、エッジはクオレに視線を移す。
「古代語か。なんて書いてあるんだ?」
「エッジとリディアとみんなと仲良く過ごせますように、って」
「へえ。よく書けてるな」
エッジは屈んでクオレの頭を撫でた。クオレが照れたように笑う。
「どの木がいい?」
「あれがいい」
クオレが指差したのは端にある、ひときわ背の高い竹の木だった。エッジが肩車をして、クオレはその木につけられたどの短冊よりも高い位置に、自分の紙切れを結びつけた。
「ふたりはもう願いごと書いた?」
地面に降り立ったあと、クオレがエッジとリディアを交互に見やった。エッジとリディアは思わず顔を見合わせて、同時に首を横に振った。
「書かなきゃだめだよ!」
「そうだよ!年に一度なんだから!」
子供たちが一大事だと言わんばかりに大きな声でふたりを急かす。ひとりの子供がエッジに空色の短冊を押し付け、別の子供がリディアにクリーム色の短冊を渡した。エッジは観念したように苦笑した。
「わかったわかった」
数ある筆記用具の中からエッジは筆を手にかける。子供のひとりが手早く墨の入った硯を渡した。彼の願いごとに興味があるのだろう。好奇の視線が向けられている。
リディアもその横に置いてあった羽ペンを手に取った。しばらく思案するが、願いごとはなかなか思い浮かばない。クオレと同じになってしまいそうだ。
ちらりとエッジの手元を覗き見ると、何かを書き終えたところだった。リディアには読めないエブラーナの言葉だ。
「なんて書いてあるの?」
尋ねるとエッジはにやりと笑みを浮かべ、短冊に息を吹きかけた。
「秘密」
「えー!」
抗議の声を挙げるとますます彼は楽しそうに紙切れをひょいっと持ち上げた。
「ねえ、なんて書いてあったの?」
周囲の子供たちに尋ねるも、皆一様に首を傾げたり、眉根を寄せたりしている。
「難しい文字でわかんなかった」
「多分古い言葉だと思う」
エッジは得意げに近くにあった竹の枝にその短冊を結び、リディアに視線を投げかけた。
先を越されてしまい、ますます焦る。ふと、先ほどクオレと読んだ本の中の一節が思い浮かび、リディアはペンを走らせた。もちろん、古代語で。
「何を書いたんだ?」
「秘密。教えなーい」
リディアは問いかけてくるエッジに仕返しとばかりにいたずらっぽく微笑み返した。
エッジは不満そうに眉間に皺を寄せて、クオレを抱き上げ、リディアの短冊を覗かせた。
「クオレ、これなんて書いてある?」
クオレは困ったように首を傾げた。それもそのはずだ。文字をつなげて書くこの方法をクオレはまだ知らない。やや古い書き方である上に、人によって個性が出やすいため、古代語がわかったとしても解読するのはなかなか難しい。
「うーん…まだ習ってない書き方だからわからない」
クオレは申し訳なさそうに頭を振った。エッジが諦めたようにため息をついた。
「今度教えるね」
リディアはクオレの頭を撫でて、その短冊を空色の短冊の横に結びつけた。
「お館様も、リディア様も、難しい言葉で書くなんてずるい!」
子供たちが不満をあらわにすると、エッジは底意地の悪い笑顔になった。
「悔しかったら勉強しろよ」
むくれる子供たちの横を穏やかな風が吹いて、短冊と長細い葉がしゃらしゃらと音を立てて揺れた。
その晩、湯浴みへ行くエッジを見送った後、リディアは部屋から抜け出した。見張りの兵士たちに「七夕の飾りが見たい」と言うと、特にとがめられることもなかった。
広場には人気がない。おそらく、街道の方が派手な飾りが多いからだろう。
わずかな灯りをたよりに、夕方、自分が短冊をかけた木を探す。誰もいないと思っていたその木の下の暗がりに、ひとりの男が立っている。リディアは苦笑を噛み殺し、できるかぎり足音を忍ばせて男の背後に近づいた。
「お風呂じゃなかったの?」
「うわっ!」
声をかけると、びくりとその男−−−エッジの肩が跳ねた。いつもだったら、こんなに油断することはなさそうなのに、余程集中していたのだろう。彼の手の中にある短冊を見て、リディアは思わず吹き出した。
「私たち、考えることが同じなんだね」
「だな」
エッジは苦虫を噛みつぶしたような顔で同意する。リディアはエッジが持っている短冊の横にある短冊を探し当てた。流れるような文字が四つ並んでいるように見える。リディアが持ってきた紙にその文字を写そうとすると、エッジは素早く紙を取り上げた。
「おいおい、お前どうやって調べるつもりだ?」
「誰かに聞けばわかるかなと思って。もし誰もわからなかったら、図書館で調べればいいし」
エッジの手の中の紙を奪おうとするが、さすがに彼は素早い。くしゃっと丸めて、懐に隠されてしまった。
「あっ、もう!」
エッジは大げさに息を吐き出した。
「そんなことしたら、明日には城中にオレの短冊の中身が広まるだろうが」
「だめなの?」
「だめってわけじゃねえけど…心の中を覗かれるみたいで嫌なんだよ」
リディアはもう一度吹き出した。心の中を覗かれてしまうような大事なことだったら書かなければいいのに。とっさにそれができない彼は実直な人物だと思った。
「お前は自分の願いごとが城中に広まっても平気なのかよ」
思わぬ反撃に、リディアはふるふると首を振った。別に大したことは書いていないが、やはり自分もその瞬間にぴったりと心に沿った言葉を書いたので、自分のそのときの気持ちを置き去りにして言葉だけが広まって行くのには違和感がある。
「交渉成立だな」
エッジが踵を返して城へ戻ろうとしたので、リディアは慌てて彼の腕を引いた。
「エッジ。何を書いたか、私にだけ教えてくれない?」
このままでは気になって眠れない。未知の言語への好奇心と、エッジの心の深い部分への探究心で、リディアの頭の中は活発に信号が往来していた。
ちりんちりん、と風鈴の音が静寂の中に響き渡る。ややあって、エッジは観念したように頬を掻き、短い息をついた。
「摩頂放踵」
「マチョウホウショウ?どういうこと?」
「頭の先から、かかとまですり減らすくらい、他人を大切にする、っていう意味。昔の偉い人のありがたい言葉」
リディアは感心して再度短冊を眺めた。意味を聞くと、並んでいる文字が突然立体的に見えてくるようで不思議だ。
「すごい。素敵な言葉だね」
「でも願いごとじゃねえよな」
エッジは自虐的な苦笑を漏らした。リディアもつられて笑った。自分の短冊もそうだからだ。
「私が書いたのはね…」
呪文のような言葉を唇に乗せると、繰り返すことすらできないと言わんばかりに、エッジが肩をすくめた。
「私のためでもなく、あなたのためでもなく、私たちのために…っていう意味。これも昔の偉い人の言葉なの」
へえ、という声の後、今度はエッジが吹き出した。
「似たようなこと書いてるな」
「ほんと。それに私のも、願いごとじゃないね」
「考えることが同じだな」
顔を見合わせてふたりで笑った。笑い声が闇の中に溶けていく。やがて、エッジが空を見上げたので、リディアもそれに倣った。明るい月が雲の影から自分たちを見下ろしている。点在する星がちかちかと輝いていた。
「天の川、見えないね」
「月が明るすぎるから、今夜は厳しいかもな」
「そっか。明日は見えるといいなあ」
「見えなくてもないわけじゃないから、安心しろ」
一瞬、エッジの言葉が何を指しているのかわからなかった。
見えなくてもないわけじゃない。それは心に秘めている想いも同じだ。
いつもは秘められているものが明かされた短冊たちが、軽やかに夜風に舞った。リディアはエッジの手を握った。節くれ立った指に、優しく力が込められた。
翌日、昼食の席につくなり、エッジはうんざりしたように仰々しく肩を落とした。
「リディア、古代語を教えてくれ」
「えっ?どうしたの?」
突然のことでリディアが聞き返すと、エッジは思い出すのも嫌と言わんばかりに憎々しげに説明した。
「昨日の子供たちが大人を総動員して読ませたらしい。おかげでじいに、やっと王族としての自覚が芽生えた、なんて嫌味ったらしく褒められた」
「あーあ。勉強しろ、なんて焚き付けるから」
笑い声を立てると彼は言い返さず、どこかやつれたような表情で自分を睨みつけた。
ばたばたという足音が近づいて来る。ばたん!と大きな音を立てて扉が開く。分厚い本を胸に抱いたクオレが、ふたりを見て嬉々とした声を挙げた。
「リディアの短冊、読めた!昨日の本に書いてあった言葉だったんだ!」
リディアは思わずエッジと顔を見合わせた。エッジが再度、ため息まじりに肩を落とした。
end
私自身が言葉や文化の違いに惹かれるので、お館様とリディアにまったく言葉のわからない状況を味わってほしくて書いてみました。あんまりわかりやすくいちゃいちゃしてなくてすみません!
『ねがいごとはひそやかに』
「はい、今日はこれで終わり」
リディアの言葉にクオレはうなずき、ふう、と息をついて分厚い本にしおりをはさんで閉じた。
「ちょっと難しすぎた?」
「ううん。おもしろかった」
クオレは首を振って、きらきらとした瞳をリディアに向けた。安堵に胸を撫で下ろす。
週に一度、リディアはクオレに古代語を教えていた。クオレは出会った頃から基礎的な古代語を習得していたが、幻獣との意思疎通に必要なその言語を日常生活で使うことはまずない。そのため、彼女が古代語を忘れないように、そしてさらに高度な言語を覚えるように、定期的に古代語の本を一緒に読むようにしていた。
講義というほど堅苦しくない時間が終わると同時に、居室の扉が叩かれた。クオレが椅子から降りて駆け寄る。扉の向こうには、何人かの子供たちが立っていた。クオレの友人たちだ。子供たちを自由に出入りさせるエブラーナ城は本当に大らかだ、とリディアはいつも微笑ましい気持ちになる。それだけ平和ということなのだろう。
「クオレちゃん、もう短冊書いた?」
「タンザク?」
クオレが首を傾げると、先頭にいた少女がうなずいて、クオレの手を引いた。
「もしかして、七夕知らない?教えてあげる!」
少女はクオレを引っ張って、そのまま駆け出した。ぞろぞろと子供たちがそれに続いて走っていく。
「リディア様も行こうよ!」
遠くから子供の声に呼ばれ、リディアは苦笑して椅子から立ち上がった。
長細い葉と紙がぶつかる涼しい音に、子供たちの嬌声が重なっている。ちりんちりん、と切ないような小さな鐘の音が夏の夕暮れの空に響いている。あの鐘は確か「風鈴」と呼ばれていた。
城を出てすぐの広場には節のあるしなやかな木が何本も並んでいて、そのどれにも色とりどりの細長い紙がぶら下がっていた。木の下には長細い紙と筆記用具が置かれた机があった。
「この紙が短冊。ここに願いごとを書いて竹にぶらさげるのが七夕だよ」
子供たちが口々にクオレに七夕のしきたりを教えている。クオレは鮮やかな竹を見上げたあと、紙に向き直って、何やら書き始めた。
「クオレちゃん、これなんて書いてあるの?」
友人の問いかけにクオレは得意げに笑い、答えずにリディアにその短冊を見せた。
「うん、上手ね」
短冊には先ほど習ったばかりの古代語で、「エッジとリディアとみんなと仲良く過ごせますように」と書かれていた。リディアが頭を撫でると、クオレは嬉しそうに目を細めた。
「リディアさまー、これ、なんて書いてあるの?」
答えないクオレに業を煮やした子供たちがリディアにまとわりつく。教えるように促すと、クオレはぽつりと短冊の意味を答えた。子供たちから歓声が上がった。
「すごいー!そういう意味なんだ!」
「今度僕にも教えてよ」
友人たちの勢いに気圧されながらも、クオレはこくりとうなずいた。子供たちの歓声がひときわ大きくなる。
「おいおい、なんだ、にぎやかだな」
呆れたような声に振り返ると、エッジがこちらに向かってくるところだった。お館様!と子供たちが一斉に彼を取り囲む。相変わらず、子供たちから人気である。
「お館様、クオレちゃんの短冊見てよー!」
ひとりがエッジの手を引き、その他の子供たちは彼を包囲してクオレの元へと導く。先頭の子供がクオレの手の中の短冊を指差した。一瞥して、エッジはクオレに視線を移す。
「古代語か。なんて書いてあるんだ?」
「エッジとリディアとみんなと仲良く過ごせますように、って」
「へえ。よく書けてるな」
エッジは屈んでクオレの頭を撫でた。クオレが照れたように笑う。
「どの木がいい?」
「あれがいい」
クオレが指差したのは端にある、ひときわ背の高い竹の木だった。エッジが肩車をして、クオレはその木につけられたどの短冊よりも高い位置に、自分の紙切れを結びつけた。
「ふたりはもう願いごと書いた?」
地面に降り立ったあと、クオレがエッジとリディアを交互に見やった。エッジとリディアは思わず顔を見合わせて、同時に首を横に振った。
「書かなきゃだめだよ!」
「そうだよ!年に一度なんだから!」
子供たちが一大事だと言わんばかりに大きな声でふたりを急かす。ひとりの子供がエッジに空色の短冊を押し付け、別の子供がリディアにクリーム色の短冊を渡した。エッジは観念したように苦笑した。
「わかったわかった」
数ある筆記用具の中からエッジは筆を手にかける。子供のひとりが手早く墨の入った硯を渡した。彼の願いごとに興味があるのだろう。好奇の視線が向けられている。
リディアもその横に置いてあった羽ペンを手に取った。しばらく思案するが、願いごとはなかなか思い浮かばない。クオレと同じになってしまいそうだ。
ちらりとエッジの手元を覗き見ると、何かを書き終えたところだった。リディアには読めないエブラーナの言葉だ。
「なんて書いてあるの?」
尋ねるとエッジはにやりと笑みを浮かべ、短冊に息を吹きかけた。
「秘密」
「えー!」
抗議の声を挙げるとますます彼は楽しそうに紙切れをひょいっと持ち上げた。
「ねえ、なんて書いてあったの?」
周囲の子供たちに尋ねるも、皆一様に首を傾げたり、眉根を寄せたりしている。
「難しい文字でわかんなかった」
「多分古い言葉だと思う」
エッジは得意げに近くにあった竹の枝にその短冊を結び、リディアに視線を投げかけた。
先を越されてしまい、ますます焦る。ふと、先ほどクオレと読んだ本の中の一節が思い浮かび、リディアはペンを走らせた。もちろん、古代語で。
「何を書いたんだ?」
「秘密。教えなーい」
リディアは問いかけてくるエッジに仕返しとばかりにいたずらっぽく微笑み返した。
エッジは不満そうに眉間に皺を寄せて、クオレを抱き上げ、リディアの短冊を覗かせた。
「クオレ、これなんて書いてある?」
クオレは困ったように首を傾げた。それもそのはずだ。文字をつなげて書くこの方法をクオレはまだ知らない。やや古い書き方である上に、人によって個性が出やすいため、古代語がわかったとしても解読するのはなかなか難しい。
「うーん…まだ習ってない書き方だからわからない」
クオレは申し訳なさそうに頭を振った。エッジが諦めたようにため息をついた。
「今度教えるね」
リディアはクオレの頭を撫でて、その短冊を空色の短冊の横に結びつけた。
「お館様も、リディア様も、難しい言葉で書くなんてずるい!」
子供たちが不満をあらわにすると、エッジは底意地の悪い笑顔になった。
「悔しかったら勉強しろよ」
むくれる子供たちの横を穏やかな風が吹いて、短冊と長細い葉がしゃらしゃらと音を立てて揺れた。
その晩、湯浴みへ行くエッジを見送った後、リディアは部屋から抜け出した。見張りの兵士たちに「七夕の飾りが見たい」と言うと、特にとがめられることもなかった。
広場には人気がない。おそらく、街道の方が派手な飾りが多いからだろう。
わずかな灯りをたよりに、夕方、自分が短冊をかけた木を探す。誰もいないと思っていたその木の下の暗がりに、ひとりの男が立っている。リディアは苦笑を噛み殺し、できるかぎり足音を忍ばせて男の背後に近づいた。
「お風呂じゃなかったの?」
「うわっ!」
声をかけると、びくりとその男−−−エッジの肩が跳ねた。いつもだったら、こんなに油断することはなさそうなのに、余程集中していたのだろう。彼の手の中にある短冊を見て、リディアは思わず吹き出した。
「私たち、考えることが同じなんだね」
「だな」
エッジは苦虫を噛みつぶしたような顔で同意する。リディアはエッジが持っている短冊の横にある短冊を探し当てた。流れるような文字が四つ並んでいるように見える。リディアが持ってきた紙にその文字を写そうとすると、エッジは素早く紙を取り上げた。
「おいおい、お前どうやって調べるつもりだ?」
「誰かに聞けばわかるかなと思って。もし誰もわからなかったら、図書館で調べればいいし」
エッジの手の中の紙を奪おうとするが、さすがに彼は素早い。くしゃっと丸めて、懐に隠されてしまった。
「あっ、もう!」
エッジは大げさに息を吐き出した。
「そんなことしたら、明日には城中にオレの短冊の中身が広まるだろうが」
「だめなの?」
「だめってわけじゃねえけど…心の中を覗かれるみたいで嫌なんだよ」
リディアはもう一度吹き出した。心の中を覗かれてしまうような大事なことだったら書かなければいいのに。とっさにそれができない彼は実直な人物だと思った。
「お前は自分の願いごとが城中に広まっても平気なのかよ」
思わぬ反撃に、リディアはふるふると首を振った。別に大したことは書いていないが、やはり自分もその瞬間にぴったりと心に沿った言葉を書いたので、自分のそのときの気持ちを置き去りにして言葉だけが広まって行くのには違和感がある。
「交渉成立だな」
エッジが踵を返して城へ戻ろうとしたので、リディアは慌てて彼の腕を引いた。
「エッジ。何を書いたか、私にだけ教えてくれない?」
このままでは気になって眠れない。未知の言語への好奇心と、エッジの心の深い部分への探究心で、リディアの頭の中は活発に信号が往来していた。
ちりんちりん、と風鈴の音が静寂の中に響き渡る。ややあって、エッジは観念したように頬を掻き、短い息をついた。
「摩頂放踵」
「マチョウホウショウ?どういうこと?」
「頭の先から、かかとまですり減らすくらい、他人を大切にする、っていう意味。昔の偉い人のありがたい言葉」
リディアは感心して再度短冊を眺めた。意味を聞くと、並んでいる文字が突然立体的に見えてくるようで不思議だ。
「すごい。素敵な言葉だね」
「でも願いごとじゃねえよな」
エッジは自虐的な苦笑を漏らした。リディアもつられて笑った。自分の短冊もそうだからだ。
「私が書いたのはね…」
呪文のような言葉を唇に乗せると、繰り返すことすらできないと言わんばかりに、エッジが肩をすくめた。
「私のためでもなく、あなたのためでもなく、私たちのために…っていう意味。これも昔の偉い人の言葉なの」
へえ、という声の後、今度はエッジが吹き出した。
「似たようなこと書いてるな」
「ほんと。それに私のも、願いごとじゃないね」
「考えることが同じだな」
顔を見合わせてふたりで笑った。笑い声が闇の中に溶けていく。やがて、エッジが空を見上げたので、リディアもそれに倣った。明るい月が雲の影から自分たちを見下ろしている。点在する星がちかちかと輝いていた。
「天の川、見えないね」
「月が明るすぎるから、今夜は厳しいかもな」
「そっか。明日は見えるといいなあ」
「見えなくてもないわけじゃないから、安心しろ」
一瞬、エッジの言葉が何を指しているのかわからなかった。
見えなくてもないわけじゃない。それは心に秘めている想いも同じだ。
いつもは秘められているものが明かされた短冊たちが、軽やかに夜風に舞った。リディアはエッジの手を握った。節くれ立った指に、優しく力が込められた。
翌日、昼食の席につくなり、エッジはうんざりしたように仰々しく肩を落とした。
「リディア、古代語を教えてくれ」
「えっ?どうしたの?」
突然のことでリディアが聞き返すと、エッジは思い出すのも嫌と言わんばかりに憎々しげに説明した。
「昨日の子供たちが大人を総動員して読ませたらしい。おかげでじいに、やっと王族としての自覚が芽生えた、なんて嫌味ったらしく褒められた」
「あーあ。勉強しろ、なんて焚き付けるから」
笑い声を立てると彼は言い返さず、どこかやつれたような表情で自分を睨みつけた。
ばたばたという足音が近づいて来る。ばたん!と大きな音を立てて扉が開く。分厚い本を胸に抱いたクオレが、ふたりを見て嬉々とした声を挙げた。
「リディアの短冊、読めた!昨日の本に書いてあった言葉だったんだ!」
リディアは思わずエッジと顔を見合わせた。エッジが再度、ため息まじりに肩を落とした。
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『今宵逢ひなば』:同じく七夕の話。
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