『四季の桜』の後日談的な話を書いてみました。短く!と思っていたのですが、気づいたら微妙な長さになってしまいました…
長年の夢が叶ってしまい、現実と思えないお館様の話です。
こちらは今のところPixivには載せてません。(エジリディタグがついた小説が自分のものばかりになってしまいそうなので…)
この話の前編にあたる『四季の桜』はこちら。
この中に出て来る、エッジの両親の話を膨らませてみました。『冷血の婚礼』
『丘の上の秘密』
懐かしい光景の夢を見ていた。
ある日、城を抜け出したエッジが見つけた場所は、とても不思議な場所だった。
城からやや離れた丘の上にぽつんと一本だけ桜が生えていたのだ。幹は細く、背は低いし、枝も少ない。街道に沿った場所に並んで花を咲かせている桜とは全く違う存在のように感じられた。
翌日、この発見を両親に教えたいという気持ちから、ふたりを連れ立って出かけた。エッジが見つけたと思っていたとっておきの場所で、自分の背丈より少し高いくらいの満開の梢を見上げながら、父王がぽつりとつぶやいた。
「この桜は、母さんがくれたんだ」
「え?」
この場所をふたりが知っていたということに残念な気持ちが生まれたが、それよりも父が語ったことが意外な気がして、まだ少年だったエッジは母の顔を見上げた。母は微笑んでうなずいた。
「あなたが生まれる前に」
どうやら本当の話のようだが、まだ納得できない。母が父に対して何かを贈る理由が想像できないからだった。
「なんであげたの?」
その質問に、父王は困ったように頭を掻き、母は上品に口元に袖を当てたあと、ころころと少女のように笑った。
「今度、教えますね。あなたがもう少し大人になったら」
エッジは疑問が解消されないことに不満を述べたが、両親は笑ってごまかすばかりでそのときは真実を語ろうとはしなかったのだった。
カーテンの隙間から漏れるおぼろげな白い光は、まだ夜が明けきっていないことを示していた。
久しぶりの睡眠らしい睡眠だった。いつもの癖で起き上がって伸びをしようとしたときに、隣から安らかな寝息が聞こえてきて、エッジは起こしかけた身体をもう一度静かにベッドの上に横たわらせた。
昨日の出来事は夢ではなかった。ゆっくりと寝返りを打ったあと、クオレと、その奥のリディアの寝顔を盗み見てエッジは確信した。
クオレは楽しい夢でも見ているのだろうか、仰向けの体勢でうっすらと微笑を浮かべてぐっすりと眠っている。その向こうのリディアはクオレと自分の方に体を向けている。布団の上に出された腕は折り曲げられており、指が顎から唇の辺りに添えられているが、イザヨイが用意した浴衣を着ているため、袖がめくれて肘から手までがあらわになっている。わずかな光を反射して白く輝くような肌に触れたいという欲求は、隣でクオレが寝返りを打ったことで押しとどめられた。
---私をエッジの生涯の伴侶にしてほしい。
リディアの安らかな寝顔を眺めながら、数時間前の発言を思い出すと、顔に血が上った。
エッジは静かにベッドから降り、大きな伸びをした。
部屋のドアを静かに閉める。ひとつ下の階の廊下でイザヨイに会った。
「おはようございます、お館様」
何度言っても、イザヨイはエッジとすれ違いざまに膝をついて礼をすることをやめない。エッジはあきらめて、好きにさせることにしていた。顔を下に向けているので表情は見えないが、声音がいつもより明るいような気がするのは、単に自分に思い当たる節があるからだろうか。
「イザヨイ。オレがエブラーナを出て行くと言ったら、どうする?」
上から唐突な質問を浴びせかけると、イザヨイは顔を下に向けたまま、間髪おかずに答えた。
「皆で連れ戻すでしょう」
「オレが戻りたくないと言ったら?」
「お館様の下へ皆が集い、その場所が新しいエブラーナとなるかもしれません」
「…逃げられないな」
観念したようにつぶやくと、珍しくイザヨイがふふっと笑う声が聞こえた。
見張り台へ上り、先客の見張りの兵士を戻らせる。
海の向こうに太陽が昇ったところだった。空には白い雲が筋状に伸びているが、今日も天気が良くなりそうだ。眼下に広がる広大な海は太陽が低いせいで、輝いて光の絨毯のように見える。地面は土色から緑色の部分の面積が広がりつつあるように。満開の桜並木には、エッジのように朝早い市民たちの姿がちらほらと見えた。
朝一番に城門や城下町はもちろん、バブイルの塔まで一望できるこの場所へ来て周囲の様子を観察することは長年の日課だった。町や住人の変化が見てとれるという目的もあったが、何よりもここから見える景色が好きなので、一日の始まりにここへ来ることで、頭がすっきり目覚める。時折、良い計画が思い浮かぶことなどもあった。
季節の移ろいはあるにせよ、この場所から見える景色は毎日同じだった。今朝の景色も、昨日までと同じに見えた。昨夜、人生の大きな転機があったような気がしたのだが、世界は何も変わっていないのかもしれない。
「おはよう」
ふいに後ろから声をかけられてエッジはどきりと体を跳ねさせた。すっかり油断していた。見張り台の入り口のところに、なぜかリディアが立っていた。
「イザヨイさんに聞いたら、案内してくれたの」
困惑が表情に出ていたからか、先回りをするようにリディアが説明した。そして自分の隣に移動すると、瞳を閉じてすうっと大きく息を吸い込んだ。
「春の香りに海のにおいが混ざってる」
言われて、思わず真似をする。春の空気はリディアの香りに似ていると思う。甘さを兼ね備えた、新緑のさわやかな香りだ。その香りを感じた時に覚える、心が浮き立つような感情も一緒だった。
「海がきらきらしてきれい。桜って上から見るとこんな感じなんだね」
微笑みをたたえながら飽きることなく景色を眺める姿は、これまでずっと見てきたリディアと一緒だった。やっぱり昨日の出来事は夢だったのかもしれない。そんな不安が掻き立てられ、エッジは苦笑した。自分らしくない繊細さだと思ったからだ。思い悩むくらいなら、確認するのが自分の性格なのに、彼女のことになると突然臆病になってしまう。
欄干に手をかけて外の風景を眺めるリディアを後ろから抱きしめ、頭に顔をうずめる。その瞬間、リディアはわずかに肩を震わせたが、抵抗するつもりはないようだった。エッジが回した腕に、ほっそりとした手を重ねて、くすりと笑った。
「どうしたの?」
「昨日のことが夢みたいで」
積年の願いが叶うときは、こんなにも唐突で、そして目に見える変化がないものなのだろうか。エッジはリディアの香りを大きく吸いこんで、ため息として吐き出した。
「大体、こっちは十年以上片思いしてたんだぞ。その間に、どうやって関係を進めるかとか、どうやって思いを伝えるかとか、策を考えまくって、やり尽くしてるわけ。それなのに、とどめの言葉をあっさりお前に言われるなんて納得できねえ」
「とどめの言葉って」
恨み節のように言葉を連ねると、リディアは抱きしめる腕を振りほどいて軽やかにターンをするように振り返り、いたずらっぽい瞳でエッジを捉えた。
「じゃあエッジが納得できるように、今、その言葉を言ってくれてもいいよ」
あまりの愛らしさに、今度は正面から彼女を抱きしめて、しばらく考える。伝えたいことはすべて昨日言葉にしてしまっており、何を言っても陳腐な繰り返しになるような気がした。
情けなさにもう一度ため息をつくと、リディアがくつくつと笑い声を立てた。
「大丈夫、もういっぱい聞いてるから」
リディアはエッジの背中に回した手を上下させた。昨日もこんな時間があったな、ということを思い出す。その時もまるでクオレにするような行為だと感じたが、優しい感触が心を落ち着かせる。
「今日、お前をエブラーナに迎えるってじいたちには言うつもりだけど、いいか」
「うん」
まるで子供が遊びの約束に交わすかのような間髪入れぬ軽い返事のあと、リディアは腕に少し力を込めて、嘆息した。
「…エッジはエブラーナの人たちに愛されてるから、私なんかじゃ釣り合わないんじゃないかって考えると、ちょっと怖いんだけどね」
「そんなこと、あるわけねえだろ」
そう言いながら、エッジはリディアと共に過ごす未来を夢見ながら、現実的なことをひとつも考えていなかった自分に気づいていた。昨日までの自分は、誰も気に留めない場所で、ふたりで過ごせればいいなどと、ただ子供じみた夢想を抱いていただけだった。しかし、自分と彼女だけが切り離された世界が突然現れるはずもない。今更ながら夢が叶うということは、夢と現実の折り合いをつけることなのだということを思い知らされる。
リディアの抱く漠然とした不安は、エッジにはより現実的な問題として考えることができた。これまで、エブラーナは他の国の者を王室に迎えたことがない。文化の違いが彼女に混乱をもたらすことは容易に想像できる。また、今更王位を狙う豪族がいるとは思えないが、権力や資産に目がくらんだ魑魅魍魎が現れる可能性もあるだろう。次の王位継承権を巡る争いも、何らかの形で出てくるだろう。忍びの国という特性は、外部との戦の際には心強いが、統治する際には細心の注意を払う必要があった。
しかし、リディアと過ごす日々は、そのような厄介事を乗り越えてでも手に入れる価値があるものだとわかっていた。彼女が決意を固めてくれた今、機会を逃すべきではない。
リディアの頭を撫で、そのまま髪の毛を梳く。癖のある細くなめらかな髪の毛は、指の間に官能的な感触を残して離れていく。
「何かあったらすぐ言えよ。お前との生活のためなら、死刑でも、亡命でもなんでもやってやる」
「…また、とどめの言葉だ」
リディアははにかんだようにこぼして、エッジの顔を見上げた。頬がほのかな朱に染まっているように見える。
「でも死刑はいやだし、亡命は無理だと思うよ」
「幻界は?」
「行くなって言ってたくせに」
そうだった。エッジは苦笑してリディアの額に唇を落とした。
「…はい?なんとおっしゃいましたか?」
聞こえていなかったのか、あまりに予期せぬ言葉だったからか、家老は珍しくエッジの言葉を聞き返した。どの場面でどのように伝えるか考えた結果、一日の公務が終わり、家老をはじめとする側近数人のみが列席しているというタイミングでついに発した言葉だっただけに、肩すかしをくらったように感じられる。エッジは我ながら棘のある口調で繰り返した。
「だーかーらー、結婚する、って言ったんだよ」
「…どなたとでしょう?」
エッジは思わず舌打ちしたい気持ちをこらえて、わざとらしく大きなため息をつき、早口で事務的に言い放った。
「リディアと。基本的に段取りは任せるが、リディアとクオレの希望を最優先するように。市民に還元する形なら金に糸目をつけなくていい。でも余計な支出はするな」
「おおお…」
家老はしばらく言葉の意味を咀嚼するために目を白黒とさせていたが、やがて嗚咽に似た声を漏らし、エッジの足元にひざまずいた。
「おめでとうございます、若様!」
家老に倣って、後ろの家臣たちも膝をついて頭を垂れた。こんな光景は久しぶりだなと思い、エッジは苦笑して玉座から立ち上がった。
「これでオレも『若様』卒業かねえ?」
家老のすぐ横でおどけて言うと、家老は涙にむせびながら顔を上げた。
「…あとは、お世継ぎ問題さえ解決できますれば、このじい、いつでも三途の川を渡ることができます」
「あー…はいはい、そうでしたそうでした」
「返事は一回で結構!」
家老とのやりとりに、家臣の中にまぎれていたザンゲツがこらえきれないように吹き出し、「これは失礼」と咳払いをした。まったく老人の強欲さや厚かましさには呆れるものがある。
その時、王の間の入口の扉が音を立ててわずかに開いた。隙間から当事者のひとりであるリディアが申し訳なさそうに顔をのぞかせている。
「ごめんなさい。お取込み中ですか?ゲッコウさんにこちらに来るように言われて来たのですが」
周囲の様子を伺うような固い口調である。ゲッコウが?と疑問に思ったが、その疑問が払拭される前に、家老がリディアを部屋に招き入れた。
「リディア様。この度はまことにありがとうございます」
彼女の前で、ひざまずいて最大級の礼を述べる家老に続き、他の家臣たちも「おめでとうございます」「ありがとうございます」と祝意と感謝を口にした。
「…ありがとうございます、っておかしくないか?」
エッジの抗議を無視して、家老はまるで女神を拝む信者のように、リディアに手を合わせている。リディアは家老の前にかがんで、顔を上げるように頼み、笑顔を向けた。
「とんでもないです。これからいろいろ教えてください。よろしくお願いします」
彼女の謙虚さと優しさに心を打たれたようで、家老は大仰なしぐさで再度頭を下げる。リディアは困ったように「家老さん、頭を上げてください」と懇願しているが、聞き入れられそうにもない。茶番だ。エッジはリディアの手をつかんで立ち上がらせた。
「ゲッコウはなんだって?」
困惑したリディアは眉毛を下げて、首をかしげた。
「王の間に行ってください、とだけ言われて…」
仕組まれた、とエッジは判断した。きっとどこかで王の間の出来事を盗聴していた家臣が、気を利かせてリディアをこの場所に向かわせたのだ。忍者だらけの国はろくなものじゃないな、といろいろなものを棚に上げてエッジは嘆息した。
「とりあえず、今日の公務は終わったし、もう解散でいいよな。おつかれ」
戸惑うリディアの手を引いて奇妙な空気が漂う王の間を縦断する。後ろから家老が何か言っている気がしたが、一刻も早く自室へ下がるべく、足を止めずに扉を勢いよく開く。
「あっ」
扉を開けた瞬間、リディアが短い声を上げた。その声に反応して彼女の方を見るやいなや、視界が鮮やかな色彩に覆われ、エッジは思わず立ち止まった。
「おめでとうございます!」
次いで、大音響がその場に響き渡る。正面を見ると、広間には入りきらないほどの兵士や市民が押し寄せていて、思い思いに拍手をしたり、口笛を鳴らしたりしていた。押し合いへし合いしている人々の先頭には笑顔のゲッコウが立っている。
色彩の正体は紙吹雪だった。色とりどりの小さな紙の破片が、リディアの髪の毛にくっついている。紙吹雪は魔法のように降りやむことがない。どうやら広間の中に弱い風が起きていて、床に落ちる前に再度上昇気流に乗って落ちてきているようだ。広間の片隅で術を唱えているツキノワを見つけて、合点がいった。
人垣の中から、少女に手を引かれたクオレが現れる。鮮やかな茜色の着物に、色味を抑えた金色の帯というエブラーナの伝統衣装を身につけている。人の波の一番前まで来ると、少女はクオレに彼女の上半身ほどの大きさがある包みを渡し、背中を軽く叩いて手を離した。着物の裾さばきに慣れず、歩きづらそうにしながら進むクオレを、後ろからイザヨイが見守っていた。
リディアがエッジの手を引いてクオレに駆け寄る。距離が詰まると、リディアがいつものように屈んで彼女に視線の高さを合わせたので、それに倣った。
クオレは満面の笑みで、半透明で金箔の施された白い紙に包まれたものを差し出した。
「おめでとう。エッジ、リディア」
リディアが包みを受け取り、中身を覗き込んで顔をほころばせ、エッジの方に向けた。手に取って中を見ると、それはわずかにつけた花を咲かせた桜の苗木だった。
「おい、これって…」
今朝の夢を思い出す。母が結婚前に父に桜の木を贈ったという逸話を知っているのは、おそらく家老くらいだろう。エッジが思わず後ろを振り返ると、案の定、先ほどまで号泣していた家老が訳知り顔でこちらを眺めていた。思わず顔をしかめると、家老はわざとらしく泣き真似をしながらザンゲツの背後に身を隠した。主要な部下たちは全員共犯のようだ。
「ありがとう、クオレ。これまでごめんね」
リディアがクオレを抱きしめる。周囲の拍手は鳴り止むことはなく、さらに大きな音の渦を巻き起こしていた。
自分に気づかれないように、これだけのものをいつ用意したのだろうか。もしかしたらずっと前から計画していたのかもしれない。あとで家老かツキノワにでも吐かせるとしよう。
「まったく…」
やっぱり忍者だらけの国はろくなものじゃない。
エッジは心の中で反芻し、気づかれないように何度目かのため息をついたのち、口の端を上げた。
夕日が長い影を落としている。風が吹いて、花びらがひらひらと舞い落ちた。
「へえ、この木はエッジのお母さんからお父さんへのプレゼントなんだ」
小さなスコップで穴を掘るエッジの横で、リディアは満開の梢を見上げた。早く苗木を植えてくるようにと、市民に追い出されるようにして城を出たのち、丘の上までふたりでやってきたのだった。昨日まではあれだけ三人でいたいとごねていたクオレも笑顔で見送っていた。ずっと一緒にいられるのならば、一時離れることは気にならないのかもしれない。
エッジはリディアから受け取った苗木の根を穴にはめ込んで、上から土をかけた。このやり方でいいのかはわからないが、湿った土を上から何度か叩き、若い木を垂直に固定した。
「ああ。しかも、いわくつき」
「えー、なになに?」
エッジはしまった、と思ったが遅かった。リディアが好奇心に満ちた瞳を向けてきている。子供のようにきらきらしたこの視線を向けられると、エッジは物をごまかすことができないのだった。手の土を払ってリディアの横に座り、ふう、と短い息をついた。
「オレの親父が若い頃は、もうどうしようもない男だったらしいんだ。王位継承者なのに自覚がなくて、修行って言って城を抜け出すし、結婚もしようとしないで女遊びはするし」
言いながら家老に「若様はお父様に似てらっしゃる」と言われたのが嫌味だったのかということに今更気づいて思わず顔をしかめたが、リディアは首を傾げたままで、続きを聞きたいようだった。
「そんな親父にも年貢の納め時が来たんだ。親父の親父、つまりオレのじいちゃんが身体を壊して、王位を継ぐ話が突然現実味を帯びてきた。じいちゃんは、伏せりながら孫の顔を見るまでは死ねないとか言ってる。慌てて周りの奴らが、そのとき、エブラーナで一番だとされていたくのいちを結婚相手に仕立てた。それがオレのおふくろ」
「へえ、エッジのお母さんって、忍者だったんだ。そうは見えなかった。イザヨイさんとは違う雰囲気よね」
「おふくろは薬とか忍術とかに通じていたんだ。身体より頭を使う方だな」
ふと、思い出が脳裏をよぎり、エッジは微笑んだ。母の作った薬にかかれば、どんな傷もたちどころに癒える。エッジがこさえた傷に優しく塗り薬を擦り込んでくれた母の笑顔が思い出された。
「なんでも、おふくろは、子供の頃から親父のことがずっと好きだったらしい。少しでも親父に近づけるようにって忍術の腕を磨いていたら、まんまとその夢が叶ったってわけだ。親父も、昔からよく知っている女だったし、オレが言うのもなんだけど、顔も性格も身分も申し分ないから、さすがにそろそろ結婚するか、って気持ちになった。結婚前夜、おふくろはこの場所に親父を連れてきた。で、桜の苗木を目の前で植えて、こう言ったらしい」
---桜を見事に咲かせる方法をご存知ですか?根元に死体を埋めるのだそうです。
母から聞いたあのときの口調をできる限り真似して口にする。リディアは話が飲み込めないようできょとんとしていた。しばらくして、やっとひとつの自信のない推論にたどり着いたように、ぽつりとつぶやいた。
「もし、王様であるお父さんの敵が現れたら、やっつけてここに埋めますよーってこと?」
エッジは苦笑し、その解釈ももしかしたらできるかもな、と思った。桜を贈った経緯までは後日約束通り教えてもらったのだが、結局本当の理由までは聞いていなかったのだ。しかし、あの話をしたときの父のばつの悪そうな表情から、エッジは違う説を考えていた。
「オレは、もし自分を裏切ったら、親父や浮気相手を毒殺して埋めてやるぞ、って脅しだったと思ってる」
「えー!?」
自分の予測を述べると、リディアは驚きのあと、たまらないように吹き出した。
両親は幸せそうだった。母の強い想いから始まったであろう関係だったが、この桜のおかげか否か、父も母を深く愛しているように見えたし、何よりもお互いが尊敬し合う関係を築いていたと思う。
桜を見上げるリディアがふと気づいたようにエッジに向き直った。
「ちょっと待って。そんな逸話のある木の下を、大事な告白の場所に選んだってこと?」
痛いところを突かれ、エッジは頬を掻いた。
「…くだらない話はあれど、ここの桜が一番きれいだし、やっぱり思い入れがあったんだよ」
リディアは夢の中の母のようにころころと笑った。桜が頭上で白い花びらを震わせている。
遠くに見える海はオレンジ色に染まり、まばゆいばかりに輝いていた。後ろから夕陽に照らされた山は影絵のように真っ黒な輪郭を浮かび上がらせている。この美しい時間はあっという間に過ぎ去り、すぐに夜空が世界を覆うだろう。
エッジは立ち上がって、もう一度手の土を脚衣で払った。リディアに手を貸して立ち上がらせる。城が夕日を浴びて雄大に見えた。
「帰ったらまた壮大な何かが仕組まれてそうだな」
独り言のようにこぼすと、リディアは顔をほころばせた。
「忍者の国って、すごいね。何が起こるかわからなくておもしろい」
「ろくでもないことに本気になりすぎるけどな」
何が起こるかわからなくておもしろい、という感想には心の中で同意しながら、エッジはリディアの手を引いて歩き始めた。手の甲に回された細い指は冷たかった。
周囲の人々が関わってくることで、だんだんと夢は現実に溶け込んでいくのかもしれない。現実が一瞬で変化することはないが、後々自分の軌跡を振り返ったときに、大きな転機に気付くものなのだろう。
濃紺色に染まりゆく空に、白銀色に瞬く星が姿を見せ始めていた。
end
長年の夢が叶ってしまい、現実と思えないお館様の話です。
こちらは今のところPixivには載せてません。(エジリディタグがついた小説が自分のものばかりになってしまいそうなので…)
この話の前編にあたる『四季の桜』はこちら。
この中に出て来る、エッジの両親の話を膨らませてみました。『冷血の婚礼』
『丘の上の秘密』
懐かしい光景の夢を見ていた。
ある日、城を抜け出したエッジが見つけた場所は、とても不思議な場所だった。
城からやや離れた丘の上にぽつんと一本だけ桜が生えていたのだ。幹は細く、背は低いし、枝も少ない。街道に沿った場所に並んで花を咲かせている桜とは全く違う存在のように感じられた。
翌日、この発見を両親に教えたいという気持ちから、ふたりを連れ立って出かけた。エッジが見つけたと思っていたとっておきの場所で、自分の背丈より少し高いくらいの満開の梢を見上げながら、父王がぽつりとつぶやいた。
「この桜は、母さんがくれたんだ」
「え?」
この場所をふたりが知っていたということに残念な気持ちが生まれたが、それよりも父が語ったことが意外な気がして、まだ少年だったエッジは母の顔を見上げた。母は微笑んでうなずいた。
「あなたが生まれる前に」
どうやら本当の話のようだが、まだ納得できない。母が父に対して何かを贈る理由が想像できないからだった。
「なんであげたの?」
その質問に、父王は困ったように頭を掻き、母は上品に口元に袖を当てたあと、ころころと少女のように笑った。
「今度、教えますね。あなたがもう少し大人になったら」
エッジは疑問が解消されないことに不満を述べたが、両親は笑ってごまかすばかりでそのときは真実を語ろうとはしなかったのだった。
カーテンの隙間から漏れるおぼろげな白い光は、まだ夜が明けきっていないことを示していた。
久しぶりの睡眠らしい睡眠だった。いつもの癖で起き上がって伸びをしようとしたときに、隣から安らかな寝息が聞こえてきて、エッジは起こしかけた身体をもう一度静かにベッドの上に横たわらせた。
昨日の出来事は夢ではなかった。ゆっくりと寝返りを打ったあと、クオレと、その奥のリディアの寝顔を盗み見てエッジは確信した。
クオレは楽しい夢でも見ているのだろうか、仰向けの体勢でうっすらと微笑を浮かべてぐっすりと眠っている。その向こうのリディアはクオレと自分の方に体を向けている。布団の上に出された腕は折り曲げられており、指が顎から唇の辺りに添えられているが、イザヨイが用意した浴衣を着ているため、袖がめくれて肘から手までがあらわになっている。わずかな光を反射して白く輝くような肌に触れたいという欲求は、隣でクオレが寝返りを打ったことで押しとどめられた。
---私をエッジの生涯の伴侶にしてほしい。
リディアの安らかな寝顔を眺めながら、数時間前の発言を思い出すと、顔に血が上った。
エッジは静かにベッドから降り、大きな伸びをした。
部屋のドアを静かに閉める。ひとつ下の階の廊下でイザヨイに会った。
「おはようございます、お館様」
何度言っても、イザヨイはエッジとすれ違いざまに膝をついて礼をすることをやめない。エッジはあきらめて、好きにさせることにしていた。顔を下に向けているので表情は見えないが、声音がいつもより明るいような気がするのは、単に自分に思い当たる節があるからだろうか。
「イザヨイ。オレがエブラーナを出て行くと言ったら、どうする?」
上から唐突な質問を浴びせかけると、イザヨイは顔を下に向けたまま、間髪おかずに答えた。
「皆で連れ戻すでしょう」
「オレが戻りたくないと言ったら?」
「お館様の下へ皆が集い、その場所が新しいエブラーナとなるかもしれません」
「…逃げられないな」
観念したようにつぶやくと、珍しくイザヨイがふふっと笑う声が聞こえた。
見張り台へ上り、先客の見張りの兵士を戻らせる。
海の向こうに太陽が昇ったところだった。空には白い雲が筋状に伸びているが、今日も天気が良くなりそうだ。眼下に広がる広大な海は太陽が低いせいで、輝いて光の絨毯のように見える。地面は土色から緑色の部分の面積が広がりつつあるように。満開の桜並木には、エッジのように朝早い市民たちの姿がちらほらと見えた。
朝一番に城門や城下町はもちろん、バブイルの塔まで一望できるこの場所へ来て周囲の様子を観察することは長年の日課だった。町や住人の変化が見てとれるという目的もあったが、何よりもここから見える景色が好きなので、一日の始まりにここへ来ることで、頭がすっきり目覚める。時折、良い計画が思い浮かぶことなどもあった。
季節の移ろいはあるにせよ、この場所から見える景色は毎日同じだった。今朝の景色も、昨日までと同じに見えた。昨夜、人生の大きな転機があったような気がしたのだが、世界は何も変わっていないのかもしれない。
「おはよう」
ふいに後ろから声をかけられてエッジはどきりと体を跳ねさせた。すっかり油断していた。見張り台の入り口のところに、なぜかリディアが立っていた。
「イザヨイさんに聞いたら、案内してくれたの」
困惑が表情に出ていたからか、先回りをするようにリディアが説明した。そして自分の隣に移動すると、瞳を閉じてすうっと大きく息を吸い込んだ。
「春の香りに海のにおいが混ざってる」
言われて、思わず真似をする。春の空気はリディアの香りに似ていると思う。甘さを兼ね備えた、新緑のさわやかな香りだ。その香りを感じた時に覚える、心が浮き立つような感情も一緒だった。
「海がきらきらしてきれい。桜って上から見るとこんな感じなんだね」
微笑みをたたえながら飽きることなく景色を眺める姿は、これまでずっと見てきたリディアと一緒だった。やっぱり昨日の出来事は夢だったのかもしれない。そんな不安が掻き立てられ、エッジは苦笑した。自分らしくない繊細さだと思ったからだ。思い悩むくらいなら、確認するのが自分の性格なのに、彼女のことになると突然臆病になってしまう。
欄干に手をかけて外の風景を眺めるリディアを後ろから抱きしめ、頭に顔をうずめる。その瞬間、リディアはわずかに肩を震わせたが、抵抗するつもりはないようだった。エッジが回した腕に、ほっそりとした手を重ねて、くすりと笑った。
「どうしたの?」
「昨日のことが夢みたいで」
積年の願いが叶うときは、こんなにも唐突で、そして目に見える変化がないものなのだろうか。エッジはリディアの香りを大きく吸いこんで、ため息として吐き出した。
「大体、こっちは十年以上片思いしてたんだぞ。その間に、どうやって関係を進めるかとか、どうやって思いを伝えるかとか、策を考えまくって、やり尽くしてるわけ。それなのに、とどめの言葉をあっさりお前に言われるなんて納得できねえ」
「とどめの言葉って」
恨み節のように言葉を連ねると、リディアは抱きしめる腕を振りほどいて軽やかにターンをするように振り返り、いたずらっぽい瞳でエッジを捉えた。
「じゃあエッジが納得できるように、今、その言葉を言ってくれてもいいよ」
あまりの愛らしさに、今度は正面から彼女を抱きしめて、しばらく考える。伝えたいことはすべて昨日言葉にしてしまっており、何を言っても陳腐な繰り返しになるような気がした。
情けなさにもう一度ため息をつくと、リディアがくつくつと笑い声を立てた。
「大丈夫、もういっぱい聞いてるから」
リディアはエッジの背中に回した手を上下させた。昨日もこんな時間があったな、ということを思い出す。その時もまるでクオレにするような行為だと感じたが、優しい感触が心を落ち着かせる。
「今日、お前をエブラーナに迎えるってじいたちには言うつもりだけど、いいか」
「うん」
まるで子供が遊びの約束に交わすかのような間髪入れぬ軽い返事のあと、リディアは腕に少し力を込めて、嘆息した。
「…エッジはエブラーナの人たちに愛されてるから、私なんかじゃ釣り合わないんじゃないかって考えると、ちょっと怖いんだけどね」
「そんなこと、あるわけねえだろ」
そう言いながら、エッジはリディアと共に過ごす未来を夢見ながら、現実的なことをひとつも考えていなかった自分に気づいていた。昨日までの自分は、誰も気に留めない場所で、ふたりで過ごせればいいなどと、ただ子供じみた夢想を抱いていただけだった。しかし、自分と彼女だけが切り離された世界が突然現れるはずもない。今更ながら夢が叶うということは、夢と現実の折り合いをつけることなのだということを思い知らされる。
リディアの抱く漠然とした不安は、エッジにはより現実的な問題として考えることができた。これまで、エブラーナは他の国の者を王室に迎えたことがない。文化の違いが彼女に混乱をもたらすことは容易に想像できる。また、今更王位を狙う豪族がいるとは思えないが、権力や資産に目がくらんだ魑魅魍魎が現れる可能性もあるだろう。次の王位継承権を巡る争いも、何らかの形で出てくるだろう。忍びの国という特性は、外部との戦の際には心強いが、統治する際には細心の注意を払う必要があった。
しかし、リディアと過ごす日々は、そのような厄介事を乗り越えてでも手に入れる価値があるものだとわかっていた。彼女が決意を固めてくれた今、機会を逃すべきではない。
リディアの頭を撫で、そのまま髪の毛を梳く。癖のある細くなめらかな髪の毛は、指の間に官能的な感触を残して離れていく。
「何かあったらすぐ言えよ。お前との生活のためなら、死刑でも、亡命でもなんでもやってやる」
「…また、とどめの言葉だ」
リディアははにかんだようにこぼして、エッジの顔を見上げた。頬がほのかな朱に染まっているように見える。
「でも死刑はいやだし、亡命は無理だと思うよ」
「幻界は?」
「行くなって言ってたくせに」
そうだった。エッジは苦笑してリディアの額に唇を落とした。
「…はい?なんとおっしゃいましたか?」
聞こえていなかったのか、あまりに予期せぬ言葉だったからか、家老は珍しくエッジの言葉を聞き返した。どの場面でどのように伝えるか考えた結果、一日の公務が終わり、家老をはじめとする側近数人のみが列席しているというタイミングでついに発した言葉だっただけに、肩すかしをくらったように感じられる。エッジは我ながら棘のある口調で繰り返した。
「だーかーらー、結婚する、って言ったんだよ」
「…どなたとでしょう?」
エッジは思わず舌打ちしたい気持ちをこらえて、わざとらしく大きなため息をつき、早口で事務的に言い放った。
「リディアと。基本的に段取りは任せるが、リディアとクオレの希望を最優先するように。市民に還元する形なら金に糸目をつけなくていい。でも余計な支出はするな」
「おおお…」
家老はしばらく言葉の意味を咀嚼するために目を白黒とさせていたが、やがて嗚咽に似た声を漏らし、エッジの足元にひざまずいた。
「おめでとうございます、若様!」
家老に倣って、後ろの家臣たちも膝をついて頭を垂れた。こんな光景は久しぶりだなと思い、エッジは苦笑して玉座から立ち上がった。
「これでオレも『若様』卒業かねえ?」
家老のすぐ横でおどけて言うと、家老は涙にむせびながら顔を上げた。
「…あとは、お世継ぎ問題さえ解決できますれば、このじい、いつでも三途の川を渡ることができます」
「あー…はいはい、そうでしたそうでした」
「返事は一回で結構!」
家老とのやりとりに、家臣の中にまぎれていたザンゲツがこらえきれないように吹き出し、「これは失礼」と咳払いをした。まったく老人の強欲さや厚かましさには呆れるものがある。
その時、王の間の入口の扉が音を立ててわずかに開いた。隙間から当事者のひとりであるリディアが申し訳なさそうに顔をのぞかせている。
「ごめんなさい。お取込み中ですか?ゲッコウさんにこちらに来るように言われて来たのですが」
周囲の様子を伺うような固い口調である。ゲッコウが?と疑問に思ったが、その疑問が払拭される前に、家老がリディアを部屋に招き入れた。
「リディア様。この度はまことにありがとうございます」
彼女の前で、ひざまずいて最大級の礼を述べる家老に続き、他の家臣たちも「おめでとうございます」「ありがとうございます」と祝意と感謝を口にした。
「…ありがとうございます、っておかしくないか?」
エッジの抗議を無視して、家老はまるで女神を拝む信者のように、リディアに手を合わせている。リディアは家老の前にかがんで、顔を上げるように頼み、笑顔を向けた。
「とんでもないです。これからいろいろ教えてください。よろしくお願いします」
彼女の謙虚さと優しさに心を打たれたようで、家老は大仰なしぐさで再度頭を下げる。リディアは困ったように「家老さん、頭を上げてください」と懇願しているが、聞き入れられそうにもない。茶番だ。エッジはリディアの手をつかんで立ち上がらせた。
「ゲッコウはなんだって?」
困惑したリディアは眉毛を下げて、首をかしげた。
「王の間に行ってください、とだけ言われて…」
仕組まれた、とエッジは判断した。きっとどこかで王の間の出来事を盗聴していた家臣が、気を利かせてリディアをこの場所に向かわせたのだ。忍者だらけの国はろくなものじゃないな、といろいろなものを棚に上げてエッジは嘆息した。
「とりあえず、今日の公務は終わったし、もう解散でいいよな。おつかれ」
戸惑うリディアの手を引いて奇妙な空気が漂う王の間を縦断する。後ろから家老が何か言っている気がしたが、一刻も早く自室へ下がるべく、足を止めずに扉を勢いよく開く。
「あっ」
扉を開けた瞬間、リディアが短い声を上げた。その声に反応して彼女の方を見るやいなや、視界が鮮やかな色彩に覆われ、エッジは思わず立ち止まった。
「おめでとうございます!」
次いで、大音響がその場に響き渡る。正面を見ると、広間には入りきらないほどの兵士や市民が押し寄せていて、思い思いに拍手をしたり、口笛を鳴らしたりしていた。押し合いへし合いしている人々の先頭には笑顔のゲッコウが立っている。
色彩の正体は紙吹雪だった。色とりどりの小さな紙の破片が、リディアの髪の毛にくっついている。紙吹雪は魔法のように降りやむことがない。どうやら広間の中に弱い風が起きていて、床に落ちる前に再度上昇気流に乗って落ちてきているようだ。広間の片隅で術を唱えているツキノワを見つけて、合点がいった。
人垣の中から、少女に手を引かれたクオレが現れる。鮮やかな茜色の着物に、色味を抑えた金色の帯というエブラーナの伝統衣装を身につけている。人の波の一番前まで来ると、少女はクオレに彼女の上半身ほどの大きさがある包みを渡し、背中を軽く叩いて手を離した。着物の裾さばきに慣れず、歩きづらそうにしながら進むクオレを、後ろからイザヨイが見守っていた。
リディアがエッジの手を引いてクオレに駆け寄る。距離が詰まると、リディアがいつものように屈んで彼女に視線の高さを合わせたので、それに倣った。
クオレは満面の笑みで、半透明で金箔の施された白い紙に包まれたものを差し出した。
「おめでとう。エッジ、リディア」
リディアが包みを受け取り、中身を覗き込んで顔をほころばせ、エッジの方に向けた。手に取って中を見ると、それはわずかにつけた花を咲かせた桜の苗木だった。
「おい、これって…」
今朝の夢を思い出す。母が結婚前に父に桜の木を贈ったという逸話を知っているのは、おそらく家老くらいだろう。エッジが思わず後ろを振り返ると、案の定、先ほどまで号泣していた家老が訳知り顔でこちらを眺めていた。思わず顔をしかめると、家老はわざとらしく泣き真似をしながらザンゲツの背後に身を隠した。主要な部下たちは全員共犯のようだ。
「ありがとう、クオレ。これまでごめんね」
リディアがクオレを抱きしめる。周囲の拍手は鳴り止むことはなく、さらに大きな音の渦を巻き起こしていた。
自分に気づかれないように、これだけのものをいつ用意したのだろうか。もしかしたらずっと前から計画していたのかもしれない。あとで家老かツキノワにでも吐かせるとしよう。
「まったく…」
やっぱり忍者だらけの国はろくなものじゃない。
エッジは心の中で反芻し、気づかれないように何度目かのため息をついたのち、口の端を上げた。
夕日が長い影を落としている。風が吹いて、花びらがひらひらと舞い落ちた。
「へえ、この木はエッジのお母さんからお父さんへのプレゼントなんだ」
小さなスコップで穴を掘るエッジの横で、リディアは満開の梢を見上げた。早く苗木を植えてくるようにと、市民に追い出されるようにして城を出たのち、丘の上までふたりでやってきたのだった。昨日まではあれだけ三人でいたいとごねていたクオレも笑顔で見送っていた。ずっと一緒にいられるのならば、一時離れることは気にならないのかもしれない。
エッジはリディアから受け取った苗木の根を穴にはめ込んで、上から土をかけた。このやり方でいいのかはわからないが、湿った土を上から何度か叩き、若い木を垂直に固定した。
「ああ。しかも、いわくつき」
「えー、なになに?」
エッジはしまった、と思ったが遅かった。リディアが好奇心に満ちた瞳を向けてきている。子供のようにきらきらしたこの視線を向けられると、エッジは物をごまかすことができないのだった。手の土を払ってリディアの横に座り、ふう、と短い息をついた。
「オレの親父が若い頃は、もうどうしようもない男だったらしいんだ。王位継承者なのに自覚がなくて、修行って言って城を抜け出すし、結婚もしようとしないで女遊びはするし」
言いながら家老に「若様はお父様に似てらっしゃる」と言われたのが嫌味だったのかということに今更気づいて思わず顔をしかめたが、リディアは首を傾げたままで、続きを聞きたいようだった。
「そんな親父にも年貢の納め時が来たんだ。親父の親父、つまりオレのじいちゃんが身体を壊して、王位を継ぐ話が突然現実味を帯びてきた。じいちゃんは、伏せりながら孫の顔を見るまでは死ねないとか言ってる。慌てて周りの奴らが、そのとき、エブラーナで一番だとされていたくのいちを結婚相手に仕立てた。それがオレのおふくろ」
「へえ、エッジのお母さんって、忍者だったんだ。そうは見えなかった。イザヨイさんとは違う雰囲気よね」
「おふくろは薬とか忍術とかに通じていたんだ。身体より頭を使う方だな」
ふと、思い出が脳裏をよぎり、エッジは微笑んだ。母の作った薬にかかれば、どんな傷もたちどころに癒える。エッジがこさえた傷に優しく塗り薬を擦り込んでくれた母の笑顔が思い出された。
「なんでも、おふくろは、子供の頃から親父のことがずっと好きだったらしい。少しでも親父に近づけるようにって忍術の腕を磨いていたら、まんまとその夢が叶ったってわけだ。親父も、昔からよく知っている女だったし、オレが言うのもなんだけど、顔も性格も身分も申し分ないから、さすがにそろそろ結婚するか、って気持ちになった。結婚前夜、おふくろはこの場所に親父を連れてきた。で、桜の苗木を目の前で植えて、こう言ったらしい」
---桜を見事に咲かせる方法をご存知ですか?根元に死体を埋めるのだそうです。
母から聞いたあのときの口調をできる限り真似して口にする。リディアは話が飲み込めないようできょとんとしていた。しばらくして、やっとひとつの自信のない推論にたどり着いたように、ぽつりとつぶやいた。
「もし、王様であるお父さんの敵が現れたら、やっつけてここに埋めますよーってこと?」
エッジは苦笑し、その解釈ももしかしたらできるかもな、と思った。桜を贈った経緯までは後日約束通り教えてもらったのだが、結局本当の理由までは聞いていなかったのだ。しかし、あの話をしたときの父のばつの悪そうな表情から、エッジは違う説を考えていた。
「オレは、もし自分を裏切ったら、親父や浮気相手を毒殺して埋めてやるぞ、って脅しだったと思ってる」
「えー!?」
自分の予測を述べると、リディアは驚きのあと、たまらないように吹き出した。
両親は幸せそうだった。母の強い想いから始まったであろう関係だったが、この桜のおかげか否か、父も母を深く愛しているように見えたし、何よりもお互いが尊敬し合う関係を築いていたと思う。
桜を見上げるリディアがふと気づいたようにエッジに向き直った。
「ちょっと待って。そんな逸話のある木の下を、大事な告白の場所に選んだってこと?」
痛いところを突かれ、エッジは頬を掻いた。
「…くだらない話はあれど、ここの桜が一番きれいだし、やっぱり思い入れがあったんだよ」
リディアは夢の中の母のようにころころと笑った。桜が頭上で白い花びらを震わせている。
遠くに見える海はオレンジ色に染まり、まばゆいばかりに輝いていた。後ろから夕陽に照らされた山は影絵のように真っ黒な輪郭を浮かび上がらせている。この美しい時間はあっという間に過ぎ去り、すぐに夜空が世界を覆うだろう。
エッジは立ち上がって、もう一度手の土を脚衣で払った。リディアに手を貸して立ち上がらせる。城が夕日を浴びて雄大に見えた。
「帰ったらまた壮大な何かが仕組まれてそうだな」
独り言のようにこぼすと、リディアは顔をほころばせた。
「忍者の国って、すごいね。何が起こるかわからなくておもしろい」
「ろくでもないことに本気になりすぎるけどな」
何が起こるかわからなくておもしろい、という感想には心の中で同意しながら、エッジはリディアの手を引いて歩き始めた。手の甲に回された細い指は冷たかった。
周囲の人々が関わってくることで、だんだんと夢は現実に溶け込んでいくのかもしれない。現実が一瞬で変化することはないが、後々自分の軌跡を振り返ったときに、大きな転機に気付くものなのだろう。
濃紺色に染まりゆく空に、白銀色に瞬く星が姿を見せ始めていた。
end
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