2014年12月7日日曜日

SS: 霧雨とロマンチスト

『つばめは雲居のよそに』の続きで、こちらも激しい捏造です。女遊びという現実逃避をやめて、自分の気持ちと向き合い始めるエッジの話です。ちなみにリディアはエッジが顔に怪我をしたのを自分のせいだと思っていて、傷が消えないことをこの話の中で初めて知るという展開です。
お館様がちょっと女の敵で嫌な奴だったり、リディアじゃない恋人にフラれちゃったり、その元恋人ががっつりお館様について語っちゃったりしますので、苦手な方はどうぞお気をつけください。
…と、あまりに捏造&地雷すぎるので、ほとんど話の内容を書いてしまいました…。完全自己満足作品です。
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『霧雨とロマンチスト』


いつものように一夜を共に過ごし、城へ戻ろうというときに、家の玄関で見送る女が突然言い放った。
「私、結婚するの」
彼女の表情からは何も読み取れない。エッジは短い息をついて頬を緩めた。
「そうか。おめでとう」
祝いの言葉を述べると、彼女は婉然と笑みを浮かべた。
「ありがとう」
右頬に白魚のような手をかざされる。細くて冷たい親指が、目の下の皮膚の薄い部分をなめらかに撫でた。薔薇と紅茶の混ざった甘くて高貴な香りが周囲の空気に混ざる。
「顔に傷なんて、さすがロマンチストね」
皮肉は楽しさを帯びていた。傷が塞がり、かさぶたがとれても、右目から頬に渡る痕は消えなかった。大きな傷を見た時、家老は卒倒しかけ、青ざめた顔の薬師に失明を免れたのは奇跡だと言われた。
鏡に映った自分の顔の傷を見るたびに、黒くねっとりとした自己満足で心が満たされる。彼女の言うロマンチストというのは、心外だが的確なのだろう。
「この国に、私以上にあなたに釣り合う人はいないでしょうね」
「だろうな」
素直に言う通りだと思った。彼女以上に賢く、美しく、家柄に恵まれた女はエブラーナにはいないだろう。彼女が別の男と結婚したと聞いたらまた家老が卒倒しかけるかもしれない。苦笑を浮かべると、彼女の瞳の中に鋭いものが浮かんだ気がした。
「だから、手に入れなさいよ」
自分の表情が強張ったのがわかった。先ほどの鋭いものは見間違えだったかのように彼女は艶やかに微笑みをたたえ、相変わらず頬…いや、傷に指を滑らせていた。
「自信家で、自分が大好きなあなたが躊躇するくらいだから、余程難しいひとなのでしょう。でも私が知る限り、あなたもいい男よ」
女の手が顔から離れた。
「私の夫の次にね」
エッジは吹き出した。
「そりゃ、嬉しい評価だな」
優美な微笑のまま、彼女は手を振った。いつもと変わらない別れの合図だ。軽く手を上げて踵を返す。
重く大きな扉を開けると、水分をたっぷり含んだ冷たい風が頬を掠めた。珍しく霧雨だった。ふわふわと漂う水滴が気管を一気に潤した。
近いうちにこの日が来るような気がしていたので、驚きはなかった。しかし、胸の中に釈然としない思いが湧き上がる。
---そのうち、こっちから切り出すつもりだったんだけどな。
心の片隅の小さな敗北感はあっという間に消え去った。最近は彼女に会う頻度も少なくなっていたし、会っている間も上の空だった。以前の自分はもう少し器用に振る舞っていたのに、最近の自分ときたら色恋沙汰に疎い男のように、喜ばせるような言葉も述べず、性欲の発散のためだけに彼女を利用していた。その結果としては妥当だった。
自暴自棄になっていたわけではない。しかし、どうやっても彼女が心の中の大きな部分を占めている存在の代わりになるとは思えなかった。
城に向かっていたはずの足は、いつの間にか港へ向かっていた。今日はダムシアンへの定期船が出る日だ。たまには砂漠を駆けていくのも悪くないだろう。首に巻いていたスカーフで、この国では目立ちすぎる髪と顔を覆った。風と霧雨が、まとわりついていた薔薇と紅茶の香りを洗い流していく。


ミストに着いたのはその日の夕刻だった。
船がダムシアンに近づくにつれ、いつの間にか空を覆っていた雲は薄くなり、日差しがのぞいていた。途中のカイポで宿を取って翌朝ミストへ到着する案も考えたが、はやる気持ちが自分の足を止めなかった。
簡素だった彼女の母の墓の周りには、今や色とりどりの花をつける鉢が置かれていて、露店で買った花束の置き場に困る。墓標に立てかけると、白い百合の花弁が風にたゆたうように揺れた。
手を合わせて最終目的地に向かおうとした時、後ろから聞き覚えのある澄んだ声で問いかけられた。
「あれ、エッジ?」
「おう」
振り返って、すぐ後ろに立っていた目当ての人物の存在を確認する。
自分の顔を見た瞬間、リディアの顔が凍りついた。みるみるうちに瞳が濡れて、黄金色の光を反射させながら一筋の涙がはらりと落ちる。
「おいおい。顔を見て泣かれるとか、傷つくんだけど」
軽口は彼女をさらに苦しませてしまったようだ。リディアは唇を噛み締めたが、涙は止まる気配がない。止めることができないのなら見せないようにしようと思ったのだろう、エッジの腕を掴んでうつむいた。
「…ごめんね」
か細い声が切れ切れに詫びる。震える肩にそっと手を置く。相変わらず衣服の上から触れても骨を感じるくらい、細い肩だ。
「お前のせいじゃないんだから謝るなよ。ちゃんと見えるし」
その言葉にリディアは顔を上げて、泣きはらした目でエッジの顔---右目を捉えた。冷たい親指がまぶたから頬にかけた傷の位置をこわごわと撫でた。
「ほんとに?ちゃんと見えるの?」
声と彼女の表情に少し明るさが灯る。エッジは口の端を上げた。
「試してみるか?」
リディアが頷くと同時に、エッジは左の目を閉じた。橙色に染まった視界がぼんやりする。本当のところ、右目の視力は以前の水準までには回復していないのだが、今は彼女の不安を取り除くのが何よりも大切だと思った。
「ここが目だろ」
目頭に触れるとリディアは瞳を閉じた。目尻にかけて親指を這わせて、涙をぬぐう。
「鼻と頬」
親指で鼻梁を撫でて、手のひらで頬を包み込む。涙は乾きつつあった。
「くち」
くちびる、と言おうとして、その単語にどこか漂う艶っぽさにエッジは言葉を変えた。夕焼けの中、おぼろげな視界でも鮮やかな朱色に見える上唇と下唇を人差し指で順にたどると、やっと彼女の表情が和らいだ。また瞳が潤んでいることを両目で確認した瞬間、胸に飛び込んできた。
「よかった…」
ほのかに甘い緑の香りがふわりと鼻先をくすぐる。このまま抱きしめてしまってもいいのだろうか。行き場を失った手を空中でぎこちなく動かす。
「だからもう泣くなって」
引き寄せるか否か決めきれずにいるとリディアが身体を離したので、エッジは数秒前の自分の逡巡を後悔した。千載一遇の好機を逸した気分だ。
彼女は涙の跡が残る強い眼差しで自分の顔を見据えた。その鋭さに気圧されそうになりながら受け止めると、リディアは凛とした声で宣誓するかのように述べた。
「もう、エッジに怪我させたりしないから。エッジだけじゃなくて、誰も傷つけさせない」
先ほどの抑止力は霧散し、思わずエッジはリディアを抱き寄せた。
リディアのまっすぐな強さにはいつも感心してしまう。自分にとってこの傷はふたりのつながりの証のようで、見るたびに心が浮き立つということを知ったら、まっすぐな彼女は自分を軽蔑するだろうか。彼女の泣く姿は見たくないが、この傷によって自分のことを気にかけてくれるのは悪くないと思ってしまう。我ながら屈折した彼女への恋慕の現れだった。
---手に入れなさいよ。
今朝別れた女の声が脳裏に蘇る。
この激情をリディアに伝えたら、彼女は応えてくれるのだろうか。今のところ、どう楽観的に考えても、いい結果は想像できなかった。おそらく彼女は恋という感情自体を理解できないような気がする。ミストの復興と幻獣と人間の保護という義務の大きさゆえに。エッジの気持ちの激しさゆえに。
「ちょ、ちょっと、エッジ。苦しいよ」
腕の中のリディアが抗議の声を上げる。身体を離すと彼女はすうっと大きく息を吸い込んでから唇を尖らせた。
「わりいわりい」
いつも通りまったく反省の念が込められていない謝罪を口にすると、リディアは腕を腰に当てて、諦めたようにわざとらしく息を吐き出した。自分に抱きしめられたら大抵の女は赤面してうつむくんだぞ、と理不尽な文句を言いたくなるが仕方ない。やはり今は時機ではないなという思いを新たにする。
いつか、彼女と自分がそれぞれ成すべきことを成し遂げたあと、想いを告げよう。その頃にはこんな傷に頼らずとも、ふたりのつながりの強さを確かめられるくらいになっているだろう。これまで何人もの女にかりそめの愛の言葉をささやいてきたにも関わらず肝心なところで自重してしまうのは、きっとこの気持ちを表現する言葉が見当たらないからだ。
未来はわからないが、少しずつできることを織り上げていけば良いと思う。模様もわからない、終わりのない織物のように、少しずつ。


使用人が湯気の立つティーカップを思わぬ客人の前に置いた。
「こちらから伺いましたのに」
「とんでもない」
カップに手をつけるでもなく、珍客---エブラーナ王国の家老はかぶりを振った。今にも卒倒するのではないかというくらい顔色が悪い。女は正面の椅子に座って紅茶に口をつけた。葡萄のような香りを吸い込む。彼の主君との関係を解消してから、半月ほどが過ぎていた。
「単刀直入に申しますが」
女は苦笑しそうになるのを堪えた。本当に単刀直入だったら、そんな前置きをしないからだ。
「例の方とのご結婚の件、考え直してはいただけませんでしょうか」
家老はじっと瞳を見据えたあと、テーブルに手をついて頭を下げた。彼が頭を下げているのをいいことに、今度は苦笑を抑えられなかった。
「顔に傷を負って帰られて以来、若様…お館様はずっと物思いにふけっていらっしゃるご様子でして、何かと思いましたらあなた様のご結婚の件が耳に入ってまいりました」
物思いにふけっているという表現は惜しいが、正しいとは思わなかった。先日、城で見かけた彼の表情は鍛えられた刀のように澄んで鋭く、内から溢れ出る静かな強さや余裕を感じさせた。憑き物が取れたとでも言えばいいだろうか。視線が合った瞬間、彼は遠い過去を懐かしむかのように微笑して、いつものように軽く手を上げた。
「でも以前ほどは脱走されないし、ご公務にも励んでいらっしゃるとのことですが」
女の言葉に顔を上げた家老は腑に落ちないといった表情で頷いた。仕事に打ち込むのはいいが、それが失恋から来るものだとしたら長くは続かないと考えているのだろう。従順で過保護な家臣にそんな誤解をされるくらい、主君の前科はひどいものだったらしい。少し気の毒に思いながら、女は家老の瞳を見つめた。
「大丈夫、今のお姿は一過性のものではありませんわ。きっとお館様は今後熱心にお役目に打ち込まれるかと」
家老が女の言葉の意図するものを探るかのように眉根を寄せる。
ふと、結婚すると告げた時のエッジの顔が脳裏に浮かんだ。あれは賭けだった。本当は結婚すると伝えた瞬間に、狼狽して、自分が必要だと言ってほしかった。しかし、あの分では自分の真意は伝わっていないだろう。
何の感想も抱いていないことを隠すための取り繕ったような表情が悔しくて、少し意地悪をしてしまった。彼の胸の内を指摘した瞬間の硬い表情は見ものだった。彼を愛した自分がその存在に気づいていないとでも思っていたのだろうか?
彼はきっと秘めた夢を叶えるための自分なりの方法を見つけたのだと思う。自尊心を傷つけられるような別れ方をした後でも、幸せを祈り、尽くしたいと思えるのだから、彼は王の器に恵まれていると言えるのだろう。女は前髪をかきあげて、深い息を吐き出した。
「お館様はご自分がなさるべきことにただ注力されているのだと思います。その過程に私は不要だったのです」
「私『は』?」
首を傾げる家老に女は微笑みかけて、香り高いティーカップに唇を寄せた。
窓から見える外の景色は、あの日のように霧雨で白く霞んでいた。青空は期待できそうにない。



end

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