2014年3月18日火曜日

SS: ぬばたまの地に、茜さし

ルビカンテを倒した後の話です。
この辺でうちの若様はリディアを意識し始めるのでした!





『ぬばたまの地に、茜さし』

飛空挺のエンジンが作動する、低い音が響き渡っている。
他の音は何も聞こえない。
眠りにつこうと目を閉じるが、一向に眠気は襲ってこない。
瞼の裏は赤と黒が混ざったような不吉な色がぐるぐると渦巻いていて、瞳を閉じることすら不快だった。
そう感じると、寝室にいること自体が息苦しく感じられ、エッジは身を起こしてベッドから抜け出した。

甲板に出ると、むせるような熱気と、その熱気を帯びた風が全身にまとわりついてきた。
まだ朝は来ない。思わず溜息を吐いてしまう。
暗い地底で、昼夜の判断をすることは難しいのではないかと思っていたが、数時間前に甲板から周囲を見渡すと、遥か北東の方角に、上空へ伸びる細い光の柱が見えた。
その光の柱は、やがてその光を弱め、数時間すると消えてしまった。
ローザの持っていた懐中時計と照合した結果、どうやら地上が昼間の時間帯に、あの光の柱が現れるようだということがわかった。
その仮定に基づき、地上が夜にあたる時間帯に、一行は休むことにしたのだ。
そして、まだ朝は来ない。長い夜だと思った。

舵の前には見張り番のセシルが座っていた。
「おう、セシル。替わるぜ」
隣に立って声をかけると、セシルは少し驚いたような表情を見せた。
その表情が一瞬の後、少し翳ったような気がした。
「エッジ、ちゃんと休んだのか?」
「おう。熟睡したから大丈夫だ。休んどけよ」
大嘘だったが、寝不足状態の方が、無理矢理眠る努力をするより数段楽だ。
嘘に気づいたか気づかなかったか。恐らく気づいただろう。
しかしセシルは礼を言って、自分の座っていた場所をエッジに譲るように立ち上がる。
「・・・・大丈夫かい?」
セシルが控えめに、顔色を窺うような視線を向けながら、優しい声で聞いてくる。
見張りを交替することに対して大丈夫か聞いているのではないだろう。
エッジは言葉の裏に隠された意味に気づかないふりをして、殊更明るく返事をする。
「おう」
「何かあったら言ってくれ。力になりたいから」
この言葉も、きっと見張りのことではないのだろう。
エッジは彼の優しさに感謝と敬服の念を抱きながら、微笑でその言葉に答える。
セシルは色々と飲み込んだような複雑な笑顔を浮かべた。

地底の世界の赤い大地が眼下で流れていく。
ふいに、その大地が燃え上がる炎のように見え、エッジは目を逸らすようにその場に寝転んで天を仰いだ。
青い空も、瞬く星も、見えるはずがなかった。
恐らく、地上の緑豊かな大地の裏面であろうものが、天井のように黒く上空を覆っている。
その黒い大地の塊が、骸に見え、連鎖するようについ先程の出来事が思い出される。

父も母も、叫ぶでもなく、ただ優しい言葉を遺して死んでいった。
肉体的にも、精神的にも、恐ろしいほどの苦痛に満ちた死であったであろう。
ルビカンテを倒し、仇を討てば、この閉塞した気分から抜け出せると思っていた。

しかし、何故だろう。
今の自分は閉塞状態から抜け出せるどころか、ますます分厚い壁に覆われた、窓のない狭い独房に入れられたような気分だ。
言いようのない圧迫感に襲われる。
瞳を閉じても、開けても休まらない。
今の自分に安らぎを与えてくれるものは、何もないらしい。
起き上がってどうするべきか逡巡していると、視界の端に優しい緑色が見えた。
右側を向くと、戸惑ったような表情を浮かべ、片手を胸の前で握ったリディアが立っていた。
緑色の髪の毛と、同じ色をした衣が、熱を帯びた風にはためいている。
「こんな時間にどうしたんだよ。見張りか?」
そんなわけはないだろうと思いながら訊ねると、リディアはやはり首を横に振る。
「ううん。部屋に行ったけどいなかったから、ここかと思って」
リディアは何も言わずに隣に座った。エッジは意表を突いた彼女の行動に、思わず顔をしかめた。
「なんだよ。何か用か」
彼女の紺碧の瞳に一瞬怯えの色が走る。しかし、すぐに彼女は意を決したように、強い視線を自分に向けてきた。
「今、ひとりになっちゃだめだよ」
エッジは、一瞬、自分の顔が渋面になったのを感じた。
この少女が何を言っているのかがわからない。
「ほっといてくれねえか」
渋面を作り物の笑顔で隠し、おどけるように言う。
冷たい言い方だったかもしれないが、今の自分に言葉を優しくすることなどできそうになかった。
しかし、エッジの強い口調にもリディアは首を横に振った。
気丈とも言える態度である。さすがに張り付いた笑顔の仮面をかぶり続けることはできず、エッジは溜息を吐き出した。
「なんだよ。ほっとけって言ってるんだから、いいだろ。さっさと帰れよ」
苛立ちを抑えられず、少し大きな声でそう言うと、反論する高い声が闇を切り裂いた。
「だめなの!つらいときは、ひとりでいちゃ、だめなの!」
声に気圧されて彼女の顔を呆然と見やると、その紺碧の瞳から涙が溢れていた。
また泣かせてしまった。そんな気持ちが、頭にもたげる。
次いで、以前も抱いた疑問が湧き上がる。
何故こいつは自分のことでもないのに泣けるのだろうか?
やはり死を忌み嫌う、生の世界の妖精だからなのだろうか?

しばらくリディアは泣いていた。
どうするべきかと悩みながら、手持ち無沙汰に、とめどなく落ちる涙を眺めていた。
「わかるよ。エッジの心が泣いてるの・・・・」
リディアは切れ切れの声を搾り出しながら、涙を拭う。しかし、大量の涙を受け止めるには、彼女の小さな手は役不足だった。

滝のように流れ落ちる青い涙が、自分の入れられた分厚い独房の壁を少し溶かしてくれた気がした。
その所為か、気がつくと、自分の口が勝手に喋り始めていた。
「・・・・オレは強くなりさえすれば、何も失うことはないと思ってたんだ」
独り言のように呟くと、堰を切ったように言葉があふれ出した。
「でも、何も守れなかった。国も、親も」
次々と言葉が連なることに、自分でも驚きを覚える。
自分の中で渦巻くこれらの言葉たちは、誰かに受け止めてもらいたかったのだろう。
抽象的で、とりとめもない自戒の言葉を、リディアは何も言わずに聞いてくれていた。
骸を連想させる空を覆う黒い大地をぼんやりと眺める。
「オレは今まで何のために生きてきたんだろう。これから何のために生きていくんだろう」
そこまで言ったところで、エブラーナの洞窟での出来事を思い出し、エッジは自己矛盾を覚えた。
あの時自分は、エブラーナのため、国民のため、自分は生き続けなければいけないと決意したはずだ。
しかし、今はとてもそんな気持ちになれなかった。

仇を討っても、失ったものは戻らない。
仇を討つという目標を果たした今、そんな当たり前のことに改めて気づいたからかもしれない。

次の目標は、臨終の際に父が言い残した通り、エブラーナの再建なのであろう。
しかし、自分の成さねばいけないことの大きさを思い、途方も無い気持ちになっている。
自信がなかった。父と母の存在の偉大さを知り、逆に自分の存在の小ささを思い知らされたのだ。
死ぬべきは、両親ではなく、自分であるべきだったのではないか。
そう思うと、自分が生き永らえていることすら申し訳なく感じられた。

責任放棄と罵られるのを覚悟し、自虐的な笑みを浮かべてリディアの顔を見ると、彼女は罵るどころか真剣な顔をして、自分の無骨な手を柔らかくて小さな手で包み込んだ。
「・・・・つらかったよね」
彼女の瞳の涙はやっと止まったようだった。
優しい青い光がその瞳に宿っていた。
「つらいよね。これからもつらいことがたくさんあると思う」
彼女は優しく包み込んだ手を撫でながら、少し微笑んで自分の瞳を見据えた。
「でも、大丈夫だよ。エッジはひとりじゃないから」
小さな自分の全てを受け入れてくれるかのような、優しく澄んだ青い瞳。

彼女の言葉に、自分を慕ってくれる人々の顔が、すぐそこに存在するかのような錯覚に陥る。

自分を追って、バブイルの塔の中まで駆けつけてくれた家老。
身を挺して自分を守ってくれた兵士。
すぐに城に帰してやると指きりを交わした少女。
母を守ると言っていた少年。その母。母のお腹の中のまだ見ぬ子供。
顔も知らないエブラーナの国民全員が、自分の帰還を待っているように感じられた。

そして、目の前の青い瞳をした少女。
握られた手は、自分をこの現実の世界につなぎとめようとしているかのようだ。

自分の鬱屈した暗い世界に、途端に一筋の光が射したような気がした。
その光が、心の中の澱のようなものを、自らの双眸から涙として押し出していく。
リディアは優しくエッジの頭を引き寄せて、全身で包み込んだ。
柔らかい手が後頭部を撫でてくれる。
優しさと柔らかさに甘えるように、エッジはすがりついて涙を流し続けた。
「・・・・リディア・・・・・・・・」
震える声が、初めて彼女の名を呼ぶ。
呼応するような、慈愛に富んだ優しい声が頭上から聞こえる。
彼女のほのかな新緑の香りが、昔日の思い出を色鮮やかに思い起こさせた。


柔らかな草原を走っていた。
流れていく景色はほとんど変わらない。たまに細い木が見える程度だ。
それでも走ることは好きだった。
身体を動かす充実感に全身が満たされることが好きだった。
城の中で自分に追いつける者がいないので、走ればどんなことからも逃げられる。
ここまで来れば大丈夫だろう。
エッジは足を止めて、その場に寝転んだ。
水色の空が視界いっぱいに飛び込んでくる。
純白の雲が細くたなびいており、風に乗ってゆっくり右から左へ流されていく。
優しい風が火照った身体をほど良く冷やす。
太陽と草の爽やかな香りがその風に乗って、全身を包み込む。

「またお勉強の時間を抜け出してきたのね」
気がつくと、母が少し困ったような笑顔を浮かべて隣に座っていた。
その声に驚いて、思わず身を起こす。あまりの心地よさに寝てしまっていたようだ。
眠ってしまっている横に人が来たことに気づかなかった。
忍者失格だ、と恥じながら自分を責めるが、母はそれについては何も言わなかった。
「・・・・あんなの必要ねーよ」
エッジは顔をしかめた。抜け出してきたのは歴史の授業だった。
自分は忍者だから、忍術や体術の授業は必要だと思っていた。
でも、何故歴史や作文や数学の勉強までさせられるかがわからなかった。
母はその言葉を聞いても何も言わない。居心地が悪くなり、エッジはまた真っ青な空を見上げた。

黒い鳥が大きな弧を描くかのように優雅に飛んでいた。
羽ばたきもしていないのに、何故飛べるのだろう。
あの鳥はどこまで行けるのだろう。

疑問を抱いていると、母が少し笑った。

世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

凛とした母の声が、歌に乗せられて、静かな草原に響き渡ったような錯覚を感じた。
「どういう意味?」
真面目に文学の授業を受けたためしはなかったが、澄んだ母の声と美しい情景が、その意味を問わせた。
母はその意味を問うてきたことを褒めるかのように、穏やかに微笑んだ。
「この世の中をつらいと思うけれど、私は鳥ではないから飛んでいけない。そういう意味ですよ」
母が教えてくれた歌の意味は、今ひとつ咀嚼できなかった。
少し考えて、エッジは恐る恐る口を開く。
「・・・・ちゃんと勉強しろってこと?」
試しに聞いてみると、母は少し笑って、そうね、と頷いた。

空は相変わらず、自らの青と雲の白さ以外は受け入れないといった表情で、穏やかに晴れ渡っている。
いつの間にか、黒い鳥の姿は見えなくなっていた。


あのときの母の歌の意味が、やっと少しわかった気がする。
どんなにつらいことがあろうとも、人間は、羽ばたいて逃げることなどできないのだ。
いや、仮に翼を持っていたとして、どんなに羽ばたこうとも、きっとこの現実の世界からは逃げられはしないのだ。
逃げられないのならば、どんなに困難な現実であろうと、運命であろうと、立ち向かうしかないのだ。

顔を上げると、リディアはどこまでも優しく微笑んでいた。
きっと、リディアも母と同じことを教えてくれたのだ。

また、こいつはオレに生きる力を与えてくれた。
心の底から言い知れぬ熱い感情が湧き上がる。
その感情に感謝が混ざっていることは違いないが、感謝と表すことにエッジは違和感を覚えた。
得体の知れぬ衝動に後押しされ、リディアの細い身体を抱き寄せる。
「ひとりじゃないよ」
自分の行為の意味を探し当てたかのような、優しく澄んだ声と彼女の細い腕が、自分の全身を心地よさで包む。
熱い感情は和らぐどころか、ざわざわと心の中をかき乱した。
・・・・ああ、そういうことか。
エッジは、戸惑いながらもこの感情の正体が分かった気がして、口の端を少し上げた。

遠く北東に、うっすらと光の柱が見えた。
長い夜が明けた。
暗い大地に光が降り注ぐ様は、感動的ですらあった。
その光景に、母が好きだった歌の文句が脳裏に甦る。

茜さす日は照らせれどぬばたまの・・・・

差し込む柔らかな光は、自分の孤独や不安を全て暴き、それすら受け入れてくれるような、希望の表情をしていた。
安堵感を覚え、エッジは瞳を閉じた。
いつか嗅いだ、太陽と草の混ざった、爽やかな香りをすぐ傍に感じた。





end


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このSSの前の話はこちら。
『空蝉、あをみわたり』

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